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神戸地方裁判所 平成4年(行ウ)9号 判決

原告

亡織田一之承継人

織田和子

右訴訟代理人弁護士

藤原精吾

後藤玲子

本上博丈

増田正幸

被告

西宮労働基準監督署長

茶園幸子

右指定代理人

恒川由理子

外五名

主文

一  被告が、織田一之に対して昭和六三年七月二〇日付でした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しないとする処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

原告の夫である亡織田一之(以下「一之」という。)は、昭和四二年以来観光バスの運転手を勤めてきたところ、昭和六三年二月二〇日のバスの運転中において、左手のしびれを発症し、高血圧性脳出血(右視床部出血)と診断され、左半身麻痺の後遺症を残すに至った。

本件は、一之が、被告に労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付の請求をしたことに対し、被告が右請求について昭和六三年七月二〇日付で不支給処分をしたため、一之が右処分の取消しを求めた事案である(なお、一之は平成七年一月二五日死亡したため、妻である織田和子が本件訴訟を承継した。)。

一  当事者間に争いのない事実

1  一之は、昭和一一年一〇月七日生まれの男性であって、昭和四二年六月二六日大阪淡路交通株式会社(以下「訴外会社」という。)に雇用され、観光バスの運転手として勤務し、昭和六三年二月二〇日当時、西宮市西宮浜三丁目二番一にある訴外会社西宮営業所所属の運転手として、大型観光バス運転の業務に従事していた。

2  一之は、昭和六三年二月二〇日、前記西宮営業所に午前五時に出勤し、神戸市西区岩岡町の配車地に向かうべく右営業所を午前七時一〇分ころ出庫した。

同人は、第二神明道路を走行中の午前八時一〇分ころ、左手のしびれ等の症状を発症し、救急車で神戸市西区伊川谷町有瀬六九六の二所在の足立病院に収容され、「高血圧症脳出血(右視床部出血)」と診断され、さらに、転院した尼崎市稲葉荘三丁目一番六九号所在の関西労災病院においても、同年三月二日「右視床出血」と診断され、左半身麻痺の後遺症を残した。

3  一之は、本件発症以前から、高血圧症との診断を受けていた(その程度については争いがある。)。

4  一之は、被告に対し、同年四月一三日、労災保険法第一二条の八第一項に基づく療養補償給付を請求したが、被告は、同年七月一八日付で右給付の不支給処分を行った。

5  一之は、右処分を不服として、同年九月一四日、兵庫労働者災害補償保険審査官に対し、労災保険法三五条一項に基づく審査請求をしたが、平成三年二月二八日右請求は棄却された。

6  さらに、一之は、同年六月一三日労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、平成六年六月三〇日右請求は棄却された。

二  争点

一之の本件疾病(脳出血)の業務起因性の有無。

三  争点に関する原告の主張

1  一之の基礎疾病

(一) 一之は、昭和六二年九月ころから、体の変調を強く自覚するようになり、同年一〇月には渡辺病院で「脳梗塞、高血圧症」と診断されたが、治療を受け、勤務の軽減をすることにより、小康状態を保っていた。

(二) 一之の高血圧症治療経過の詳細は次のとおりである。

昭和五九年一二月   会社の定期健康診断で高血圧症と判定を受ける。

同六一年一二月二二日 高血圧症

収縮期血圧一六四/拡張期血圧一〇五

同六二年 九月 三日 同  右

一六二/一〇〇

同  年 九月一〇日 高血圧症として、精密検査の指示を受ける。

一六九/一〇九

同  年 九月二五日 西宮渡辺病院で血圧測定

一三三/八〇

同  年一〇月 一日

一三八/九一

右足が引っかかる感じ。おかしいと自覚する。

同  年一〇月三〇日 CTにより、小さな多発性脳梗塞(左側)と診断される。投薬開始。

同六三年 一月二九日

一六六/九三

同  年 二月一二日

一四六/九三

(三) 一之の脳梗塞は、投薬治療により、本件発症の八日前である二月一二日までは一応コントロールされ、しびれ等の自覚症状も消失し、単に右上下肢反射亢進が見られたにすぎない状態であった。

2  業務の過重性

(一) 一之は、昭和六三年一月からは、スキーバスの業務が加わり、寒冷に曝される機会が増えたことに加えて、発症一週間前は、泊まり三回という冬場では異例の超過業務が続いたため、発症時には著しい過労状態にあった。

本件疾病は、このような蓄積疲労によって基礎疾病である高血圧症が急激に増悪したものである。

(二) 発症前一か月の一之の業務実態

(1) 一之の発症前一か月間の労働時間合計は二八〇時間二〇分であり(二月一、二、三日の待機時間を控除すれば二五六時間二〇分)、時間外労働は八三時間四〇分であり、明らかな長時間労働であった。

(2) 一之の全勤務日二五日間のうち、一三日間が寒冷地への運行及び寒冷地での宿泊であり、その頻度は極めて高い。

(3) 昭和六三年一月二〇日から二四日における泊まり勤務に続く徹夜運行

一之は、同年一月二〇日から二二日にかけて、二泊に泊まり勤務をこなし、二二日の入庫は、午後九時一〇分であった。そして翌二三日には午前八時に出庫し、入庫は午後二時一〇分であるが、約七時間後の午後九時には再び出庫し、二四日にかけて徹夜運行している。

(4) 同年一月三一日から二月四日にかけての平湯行きについて

一之は、同年一月三一日から二月四日にかけて平湯へのスキーバス運行を担当しているが、右運行は、極めて悪条件のもとで行われた。

① そもそもスキーバス業務は、路面の凍結による事故の危険のほか、車内と車外の温度差が約三〇度近くもあり、チェーンの着脱やサービスエリアにおける降車時における身体への負担など、特に高血圧等の基礎疾病のある者にとっては頻回な血圧上昇のリスクのあるものである。

② 平湯到着後、一之は、車の清掃、点検作業をしているが、当日の夕方からこの地方では気温が低下し、一之は、厳寒の中で右作業に従事した。

③ 平湯での宿泊場所は、石油ストーブが一台あるのみでこたつさえなく、暖房設備も充分でなかった。また、一室に多人数が宿泊するため、熟睡できるような状況ではなく、一之は充分な休息をとることができなかった。

④ 二月二日夜から二月三日にかけて、平湯を含む飛騨地方は猛吹雪となり、気温も平湯に近い栃尾観測所において、最低でマイナス8.9度、最高でマイナス7.1度を記録し、高山では、その冬最高の二七センチメートルの積雪となった。

⑤ そのような中の二月三日の朝、寒さのためにバスのエンジンが始動しないという事態になった。一之ら運転手たちは、エンジンを始動させるための作業をしたが、最後まで三、四台のバスのエンジンが始動せず、他のエンジンのかかったバスのバッテリーと接続させるためにバスを移動させる必要があり、このために一之らは昼ころまで路面の雪掻き作業をしてバスを移動させた。午後一時に応援の整備士が到着した後は、一之はその作業の手伝いをし、猛吹雪の中午後六時ころまで戸外で作業に従事していた。

⑥ 二月三日の夕刻から、四日の早朝にかけて、一之ら運転手らは、凍結を防ぐため一晩中エンジンをかけっ放しにしている一二台のバスを、二人一組となって二時間おきに点検した。一回の点検の所要時間は一五分から二〇分くらいであったが、このときにも吹雪は続いており、厳寒の中、一之は、戸外で点検作業を行った。

⑦ 二月四日は、午前七時ころ出庫し、入庫は午後八時三〇分になった。

右平湯への運行後も一之は、二月八日まで休日を取れず、結局一月三一日から二月八日までの九日間は、合計五泊の泊まり勤務を含む休日の全くない連続勤務となった。

(5) 発症前一週間の業務について

① 二月一四日から一六日の草津、上州高松行き

右地は寒冷地であり、二泊の宿泊を伴う業務であった。特に一六日は、出庫が午前七時四〇分、入庫が午後七時二〇分であり、入出庫前の点検等の作業を併せると、労働時間は一二時間四〇分にも及ぶものであった。

② 二月一七日から一八日の和倉行き

右運行は、変則MM(三台のバスを五人で運転)で行われ、午前六時に出庫し、午後六時に入庫し、和倉で泊まった。このとき一之は、主に先頭車のスペアー運転手として乗車し、他の車両の運転も行っている。

和倉での宿泊場所は民宿で非常に寒く、一之が疲労回復に充分な睡眠をとれたとは考えられない。

翌一八日は午前八時出庫し、午後八時入庫した。このときも、一之は、先頭車のみならず、他の車両も運転している。

3  使用者の健康保持義務違反

(一) 労働者と労働契約を締結した使用者は、労働者に対して健康保持義務を負うのであり、労働安全衛生法六六条七項は、健康保持義務の具体的内容の一例として、「健康診断の結果労働者の健康を保持するために必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の適切な措置を講じなければならない」としている。

(二) 訴外会社は、健康診断の結果、一之が高血圧症に罹患していたことを十分に認識していたのであるから、一之の基礎疾病たる高血圧症を悪化させることがないよう労働時間、就業場所、作業環境等について適切な措置を講じる義務があった。

(三) しかるに、訴外会社は、右義務の履行を怠り、心身に過重な負担をかけ、高血圧症を増悪させる恐れの高いことが明らかな冬場のスキーバス業務を命じたものである。訴外会社の右健康保持義務違反が、本件発症の重要な要因として介在していることは明らかである。

4  業務起因性の判断基準について

(一) 労災保険給付の支給要件である「業務上の事由による」負傷、疾病、障害または死亡とは、当該業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りる。

右相当因果関係の判断基準としては、業務が競合する原因の中で相対的に有力な原因であることまでを要件とせず、基礎疾病と業務が共働原因となって発症に至ったことをもって足りるとするのが素直な結論である。

(二) 業務起因性を判断するために、当該業務の過重性を判断する必要があるとしても、この業務の過重性の判断については、従事していた業務が当該労働者にとって過重であったか否かを判断すればよいのであり、一般人にとって過重とはいえなくても、当該労働者を基準として、その体力や基礎疾病との関わりで業務の過重性が認められれば業務起因性を認めるべきである。

(三) 認定基準について

(1) 旧認定基準について

旧認定基準(昭和六二年一〇月二六日付基発第六二〇号通達)による判断は、今日ではもはや妥当性を欠き、維持できないものである。

(2) 新認定基準について

新認定基準(平成七年二月一日付基発第三八号通達)によれば、以下の点から、本件は当然に業務起因性ありと判断されるべき事案である。

① 新認定基準では、発症前一週間より前の業務については「発症前一週間以内の業務が日常業務を相当程度超える場合には、発症前一週間以前の業務をも含めて総合的に判断する」としているが、本件では一之は昭和六三年一月以降主治医から指示されていた軽減勤務をさせてもらえず、スキーバスの乗務で身体は大きな負担を受けており、しかも、発症一週間以内の草津行き、和倉行きは、宿泊を伴う長距離業務であることからして、当然に発症前一週間より前の業務も評価の対象とされる必要がある。

② 新認定基準は、「日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと」を要件とし、「特に過重な業務」といえるための比較の対象として、「当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある者」を基準とすべきであるとしている。この場合、年齢、経験と同様に前記のとおり基礎疾病をも併せて考慮すべきであり、これによれば、本件において業務起因性は肯定されるべきである。

四  争点に関する被告の主張

1  業務起因性の判断基準について

(一) 労働基準法(以下「労基法」という。)は、使用者の過失の有無を問わず、業務上の傷病による労働者の損失全額を補填させるものであり、かつ刑罰をもって使用者に対しその履行を強制している(同法一一九条)。このような労災補償制度の趣旨に鑑みれば、単に労務提供の機会に発症したにすぎない場合にまで、使用者が労働者の損失を補填しなければならないとするのは、使用者に過大な負担を強いるものであり、不当である。

(二) したがって、業務そのものに当該傷病を発症させる具体的危険が内在する場合において、使用者が労働者を業務に従事させた結果、その危険の現実化による傷病を惹起させた場合に限って労働者の被った損失を補填させることが合理的であり、労災補償制度の法的性質、制度趣旨に合致するといえる。

(三) 以上のように、労災補償に関しては、業務と疾病との間に条件関係があることを前提とした上で、さらに業務と疾病との間に労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)の存在を必要とするというべきである。

(四) そしてその相当因果関係の判断にあたっては、業務以外の、他の有力な要因が認められる場合には、これらの要因に比較して、業務が相対的に有力に作用したと医学的に認められた場合についてのみ、相当因果関係があるとみるべきである(相対的有力原因説)。

2  認定基準について

(一) 何をもって「業務上の疾病」というかについては、労基法施行規則三五条・別表一の二に規定されているが、右規定では明らかにされていない発症の条件について、労働省労働基準局長が行政通達の形で明示したものが「認定基準」である。

認定基準は、現在の最高の医学的知見に基づいて、業務起因性の肯定要素を集約して基準化を図ることが可能なものについて設定されており、かつ、設定されている有害因子別の疾病の業務起因性を肯定し得る要素の集約であるから、認定基準の要件を充足している疾病は、原則として業務上疾病と認められる。

他方、この要件を充足していない場合には、医学的知見の水準によれば、業務起因性が明らかでないとされざるを得ない。

(二) 旧認定基準について

(1) 従来、業務上外の認定には、昭和三六年二月一三日付基発第一一六号通達「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」において示された認定基準に則って行われていたが、労働省は、昭和六二年一〇月二六日付で右認定基準を改定した(前記の旧認定基準。)。

(2) 右の旧認定基準が取り扱う脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、次の疾患とされている。

① 脳血管疾患

脳出血、くも膜下出血、硬膜上出血、硬膜下出血、脳梗塞、高血圧症脳症

② 虚血性心疾患等

一時的心停止、狭心症、心筋梗塞症、解離性大動脈瘤、二次性循環不全

(3) 旧認定基準によれば、「業務に起因することの明らかな脳血管疾患及び虚血性心疾患」の認定基準は、以下のとおりである。

次の①及び②のいずれの要件をも充たす脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、労基法施行細則別表一の二第九号に該当する疾病として取り扱うこと。

① 次に掲げるイまたはロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。

イ 発生状態を時間的及び場所的に明確にしうる異常な出来事(業務に関連する出来事に限る)に遭遇したこと。

ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。

② 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること。

なお、旧認定基準でいう過重負荷とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態をその自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験上認められる負荷をいうものとされ、また、右の自然的経過とは加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいうものとされている。

また、「異常な出来事」とは、具体的には次に掲げる出来事であるとされている。

イ 極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の強度の精神的負担を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態

ロ 緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態

ハ 急激で著しい作業環境の変化

さらに旧認定基準によれば、「日常業務に比較して、特に過重な業務」とは、通常の所定の業務内容等に比較して、特に過重な精神的・身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいい、その判断については次によること。

イ 発症に最も密接な関連を有する業務は、発症直前から前日までの間の業務であるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを、まず第一に判断すること。

ロ 発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症一週間前に過重な業務が継続している場合には、急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを判断すること。

ハ 発症一週間より前の業務については、急激で著しい増悪に関連したとは判断し難く、発症前一週間以内における業務の過重性の評価にあたって、その付加的要因として考慮するにとどめること。

ニ 過重性の判断にあたっては、業務量のみならず、業務内容、作業環境等を総合して判断すること。とされている。

(三) 新認定基準について

(1) 右の旧認定基準は、その後の医学的知見等を踏まえ、平成七年二月一日付で改定された(前記の新認定基準)。

新認定基準における主な改正点は次のとおりである。

① 新認定基準では、業務の過重性を評価するにあたり、発症した当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある同僚等にとって特に過重であるか否かにより判断することとした。

② 発症前一週間以内の業務が日常業務を相当程度超える場合には、発症前一週間より前の業務を含めて総合的に判断することとした。

(2) 前記のとおり、労災補償制度の趣旨からして、相当因果関係は当該業務が当該疾病発生の具体的危険性を含むと評価される場合に認められるものであるから、その危険の程度については、基礎疾病を持つ当該労働者を基準にするのではなく、平均的な労働者を基準にして測るべきものであって、新認定基準の示した右基準には合理性がある。

3  本件における業務起因性について

(一) 一之の業務について

(1) 訴外会社の運転手の就業時間は、変則勤務体制である。すなわち、下車勤務時(運転しない時)は、始業が午前八時三〇分で終業が午後五時三〇分(その間に休憩一時間)であり、乗車勤務時は出庫二〇分前に出勤し、入庫四〇分後に退社するという就業規則になっている。

(2) 訴外会社の運転手等の休日は、指定休日が月四日のほか指示休日が月二日(閑散期)である。

(3) 一之は、担当車(バス)を持っていないいわゆるスペアー運転手であって、休暇をとった運転手の代替運転手として乗務するか、または、原則として四五〇キロ以上の、長距離運行の場合の予備運転手(交替の運転手)として乗務していた。そして代替運転手として乗務する場合は、車両の点検は主として担当車の運転手が行うのでそれに立ち会う程度であり、適宜洗車等を分担していた。

また、下車勤務の場合は、担当車がないので仕事がなく、午前中のみ待機し、午後に帰宅していた。

(4) 一之の発症前一年間(昭和六二年三月から同六三年二月まで)の勤務状況は、別表1の記載のとおりである。

(5) 一之の発症前一週間(昭和六三年二月一三日から同月一九日まで)の勤務状況は別表2記載のとおりであって、一日あたりの平均延べ労働時間は一〇時間、平均時間外労働時間は二時間三五分、平均走行キロは200.9キロメートルである(平均走行キロについては、二人乗務の場合は、各人二分の一ずつ運転したものと仮定して、当日の走行キロを二で割り、一之の走行キロを算出し、一週間の走行キロの合計を一週間の勤務日数六で割って算出する。)。発症前日(昭和六三年二月一九日)は休日であり、一之は午前七時三〇分に起床し、昼間はテレビを見たり、植木の手入れをしたり、ゴロ寝をしたりして過ごし、午後七時三〇分に就寝した。

(6) 発症当日の一之の運転状況は、道路の渋滞もなく、スムーズで、運行中全く異常な点はなかった。

(二) 訴外会社の他の運転手との業務量比較

訴外会社のスペアー運転手である安河内義正及び大塚勝康の昭和六二年三月から同六三年二月までの一年間の業務量は、別表3のとおりであって、一之の労働日数、時間外労働時間、延べ労働時間及び一日あたり労働時間と比較するも特に差異は認められない。

また、右安河内らの昭和六三年二月一三日から同月一九日までの一週間の業務量は別表4のとおりであって、一之の一日あたりの平均労働時間、平均時間外労働時間及び平均走行キロを比較するも、特に差異は認められない。

以上のとおり、一之の業務量は、訴外会社の他の運転手と比較して、特に過重なものではなかった。

(三) 一之の業務の過重性について

以上のように、一之は発症の前日十分に休息をとっており、発症当日も精神的緊張や突発的な出来事もなく、特に過重な業務があったとは認められない。

また、発症直前一週間の勤務状況についても、質的に異なる業務とか量的にその程度を著しく超える等の過激な労働実態は認められず、発症前に業務に関する心身の興奮、緊張の蓄積があったとは認められない。

また、訴外会社の同種労働者と比較しても、業務量において特に差異は認められない。

これらのことに、一之は長年の間バス運転手として勤務し、運転業務に習熟していることをも勘案すれば、一之が新認定基準にいう「業務による明らかな過重負担」を、本件発症前に受けた事実は到底認められない。

(四) 一之の健康状態について

(1) 一之は、昭和五九年一二月一五日から同六二年一二月一四日までの各検診時ごとに血圧上昇ないし高血圧症を指摘されており、昭和五九年一二月以降血圧降下剤の投与を受けた。

(2) さらに一之は、昭和六二年九月一〇日に西宮渡辺病院で受診した際、脳梗塞、高血圧症と診断され、同六三年二月一二日まで脳血流改善剤・血圧降下剤による治療を受けた。

(3) 一之は、長年にわたる高血圧が充分にコントロールされておらず、高血圧により動脈硬化が促進される状態にあり、いつ脳出血を発症しても不思議でない状態にあった。

(五) まとめ

以上の事実を総合考慮すると、本件発症は、基礎疾病である高血圧症が自然的経過によって増悪し、たまたま就労の場において発症したにすぎないというべきであるから、本件疾病の業務起因性は存在しない。

第三  争点に対する判断

一  一之の業務について

1  後記各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 一之の経歴等について(争いのない事実、甲一、六、一〇、乙一四、一六、二七、証人渡辺博美、同前原龍、同織田和子)

一之は、昭和四二年六月二六日訴外会社大阪営業所に入社し、観光バス運転手として勤務し、昭和四五年九月二〇日にいったん退社し、同年一〇月二一日、再び同社西宮営業所に入社し、同所において大型観光バスの運転手を勤めてきた。また、その傍らで、昭和六〇年ころから同六二年一二月ころまで、淡路交通バス労働組合の執行委員長を務めていた。

一之は、几帳面で辛抱強く、真面目な性格であり、職場での同僚との人間関係もうまくいっていた。また、道幅が狭い高野山や貴船、鞍馬など他人の嫌がるコースを代わって引き受けるなど、他人の嫌がることを自らが背負うようなところがあった。

(二) バス運転業務一般について(甲四の1ないし4、九、乙四六、四七、六五、証人渡辺博美、同織田和子)

(1) バスの運転手は、多数の乗客の人命を預かる仕事であり、運転中は絶えず精神的緊張を強いられる。

バス運転業務は、その性質上、勤務時間が長時間となったり、不規則になりがちであるため、運転手の疲労の回復が遅れたり、疲労が蓄積することもある。また、予期しない道路の渋滞等がある場合には、労働時間が通常よりも長くなることがある。

(2) 訴外会社においては、バス乗務員の出勤時間は出庫時間の二〇分前であり、出勤から出庫までの二〇分間で始業点検を行う。変則勤務であって、特に定時というものはない。退社は入庫後四〇分後で、この四〇分間で終業点検、洗車を行うことになっている。

また、休日は、乗務員については原則として一週に一日または四週を通じ四日以上と、就業規則によって定められている。

(3) 訴外会社西宮営業所は兵庫県全域をその営業範囲としており、訴外会社の他の営業所と比較してその担当範囲が広く、その走行距離においても他の会社、訴外会社の他の営業所のそれを上回っており、必然的に時間外労働時間も長くなる傾向にある。

(三) スペアー運転手について(争いのない事実、甲一、四の1ないし4、六、九、乙二七、四一、四四、四七、六五、証人渡辺博美、同前原龍)。

(1) 訴外会社においては、バス運転手には、自分の担当車両を持つ者と持たない者がおり、後者はスペアー運転手と呼ばれていた。

スペアー運転手は、運転手が休暇を取得した場合にその代替運転手として乗務するか、MM運行(二人乗務)の場合に交替運転手として乗務していた(訴外会社と淡路交通観光バス労働組合との協定により、運転手一人一日の乗務走行キロの上限は四五〇キロとされていたので、四五一キロを上回るときには二人乗務が必要とされており、この場合の二人乗務をMM運行と称していた。)。

(2) スペアー運転手は、担当車両を持っていないことから、MM運行の交替運転手として勤務することが多く、したがって、担当車両を持っている運転手に比べて、長距離運行、夜間運行、泊まり乗務になりがちである。その結果として、その名称にもかかわらず、スペアー運転手が乗車をせずに待機をしている日は年間に数日というのが実情であった。

(3) スペアー運転手は、長距離運行、夜間運行、泊まり勤務が多くなり、また、担当車を持っていないという関係で、毎日違う車両に乗らねばならず、点検を充分に行い、その車両の状況を逐一確認しなければならない。また、他人の担当車に乗るということで自分の担当車に乗車するとき以上に十分に洗車を行う必要がある。これらの事情から、一般には、スペアー運転手になることは敬遠されていた。

(4) 一之は、組合の用事との関係で時間が取りやすいという事情もあり、昭和四五年ころから、自ら希望してスペアー運転手としての乗務をしていた。

(5) なお、後記のとおり、和倉温泉への運行は、変則MM運行であったが、これは、乗務するバスが変わり、休憩の割合が少なくなるなどの点で担当車を持つ運転手と比較して、スペアー運転手に一層重い負担をかけるものである。

(四) スキーバスの運行(甲九、証人渡辺博美、同前原龍)

スキーバスの運行においては、積雪のある道を通行するため、道幅も狭くなり、滑りやすくなることから、通常の運転よりも精神的緊張が強いられる。また、スキーバスの性質上、夜間運行となることが多く、運転手の疲労度は非常に大きい。さらに、車内温度と戸外温度との差がひどいときには三〇度近くにもなることがあり、チェーンの着脱時やサービスエリアでの休憩でドアを開けた時に、冷気に曝され、これが運転手の身体に負担となる。

2  スペアー運転手の負担について、一之と同じくスペアー運転手であった安河内義正は、スペアー運転手は車両の管理等を行う必要がなく、また、予備運転手として乗務するとき(MM運行のとき)は約二時間で運転を交替するので楽であったと述べており(乙四四)、また、西宮営業所の斉藤洋所長も、スペアー運転手には乗車勤務のないときがあり、むしろ担当車を持つ運転手より楽であるという趣旨のことを述べている(乙二八)。しかし、証人渡辺博美は、右認定のとおり、MM運行が現実には負担になる旨証言している上、安河内もスペアー運転手が一般に嫌がられていたこと自体は認めていること(乙四四)、斉藤の供述はスペアー運転手の勤務実態を具体的な根拠をもって示したものではなく、むしろ制度の建前を述べたにすぎないとみられることから、安河内及び斉藤の右供述部分はいずれも採用することができない。

なお、被告は、MM運行の際、他の運転手が運転する時間はその運転手は休憩できると主張する。しかし、証拠(乙四七、証人渡辺博美、同前原龍)によると、実際にはガイドの説明があったり、乗客が騒がしくするなどで、乗客からの拘束は免れがたく、十分に休憩できる環境ではないことが認められるから、右の主張は採用しない。

二  一之の発症前の勤務状況等について

1  後記各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 一之の発症前一か月間の勤務状況の概要は、別表5記載のとおりである(甲三)。

(二) 一月三一日から二月四日までの平湯へのスキーバス運行(甲三、一四、乙二六、二七、四七、五六、証人山下豊、同織田和子)

(1) 一月三一日、一之は、稲園高校の岐阜県平湯へのスキー旅行のバス運行を担当し、午前六時二〇分に出庫した。バスは一二台で、運転手は、西宮営業所の者が六名と、大阪営業所の者が六名の合計一二名であった。高山市街を抜けて四〇分くらい走行したところでタイヤチェーンを装着し、午後五時に平湯に到着した。途中、特に悪天候に見舞われることはなかった。

(2) 一之ら運転手が平湯で宿泊した宿舎は、乗客の宿舎とは別に用意された、民宿に準ずる設備の旅館であり、その部屋は、襖一枚で仕切られた二つの部屋のそれぞれに、西宮の六名、大阪の六名が宿泊した、暖房設備としては石油ストーブが一つあるだけで、電機炬燵もなく、室内にいてもかなり寒い状態であった(寒さを凌ぐために、部屋の中でも常時防寒服を着ていた者もいた。)。

(3) 二月一日から三日までは運転手らは現地で待機した。

(4) 同月二日の夜から翌三日にかけて、冬型の気圧配置が強まり、平湯地方は猛吹雪となった。この日は、一日中吹雪が続き、平湯の最寄りの観測所である栃尾観測所での三日の平均気温は、マイナス8.3度を記録した。

一之を含む運転手らは、三日午前一〇時ころから、吹雪の中で、バスの点検作業を始め、バスの周りに積もった雪を取り除き、エンジンの始動を行ったが、一二台あるバスのうち三、四台のエンジンがかからなかった。

そこで、一之ら運転手は、それらの車輌のバッテリーとエンジンのかかった車両のバッテリーとを、ブースターケーブルで結んでセルモーターを回転させることとした。その際、同人らは、ブースターケーブルの届く位置に車両を近づけるために、路面の雪かきをした。

ところが、右の方法によっても、なお一台のエンジンがかからなかった。調査の結果、燃料が凍結していることが分かったので、運転手らは、訴外会社に整備士の派遣を要請し、さらに、高山から整備士が到着するまでの間、エンジンルームの下に入って燃料が来ているか否かを確認したり、パイプを松明のような物で焙るなどして、燃料を溶かす作業を行った(もっとも、この時一之が、実際にどのような作業を行っていたかは確定することができない。)。

午後一時ころ整備士が到着し、その後運転手らは整備士を手伝い、最終的にエンジンがかかったのは午後六時ころであった。その後、一二台のバスのエンジンはそのままかけっ放しにされた。

一之ら運転手は、それ以後は、二人ずつくらい交替で、約二時間おきにエンジンが正常に動いているか等を点検した。見回りに要する時間は、一回あたり一五分から二〇分くらいであり、実際に一之も、深夜一二時以前の時間に見回りに行っている。

(5) 翌二月四日は、午前七時四〇分に平湯を出発し、午後六時に入庫した。

(6) なお、平湯での勤務を終えたころから、妻である原告の見たところでは、一之は、顔が赤くなり、ものすごく老けた感じになり、全体的に元気がなく、疲れた様子であった。家事を手伝ったりすることもなく、口うるさく言うこともなくなった。

(三) 二月一四〜一六日の草津行き(甲三、一三、乙四七、五二、五七)

(1) 一之は、二月一四日から一六日にかけて、草津、上州高松への運行を担当した。この時は、バス一台で、一之は浜田克之運転手の補助という形でその担当車に乗務しているが、実際には一之が主となって乗務していた。但し、この草津への乗務においては、運行距離を見る限りでは、ほぼ半分ずつか一之が若干上回る程度であった。

(2) なお、一之は一六日の朝、宿泊先の旅館の前で転倒し、頭部を強打しているが、予定どおり乗務している。

(四) 同月一七、一八日の和倉行き(甲三、七、四一、乙二七、四七、五二、五八、乙六一の2、証人前原龍)

(1) 一之は、二月一七、一八日に和倉への運行を担当した。この時は、バス三台で運転手五名のいわゆる変則MM運行であった。このような変則MM運行の場合であっても、担当車を持つ運転手は担当車以外の車輌を運転することはないから、これらの運転手が休憩する区間について、二名のスペアー運転手が運転を受け持つことになっていた。

また、一之は、和倉への運行において、三号車担当の前原とともにリーダー格の運転手であった。

(2) この和倉への行程において、一之は、前原運転手の担当車である三号車に加えて、新田運転手が担当する二号車も運転していた。

一之は、タコメーターの計測で、往路については三五六キロを、復路については二八〇キロを走行しており、片道の全行程が約四七〇キロであることからするならば、一之の運行距離は同じリーダー格である前原と比較しても、かなり長いものであった。

また、この和倉行きに限らず一般的に言って、一之のようなベテランの運転手でしかもスペアー運転手には、他の運転手と比較して重い負担がかかっていたというのが実情であったことが認められる。

(3) この二月一七、一八日は、和倉に近い七尾において、一日の平均気温がそれぞれマイナス1.5度、マイナス1.0度、羽咋においてそれぞれマイナス1.5度、マイナス0.5度を記録するなどかなりの冷え込みであった。この時の和倉での宿泊施設は民宿で、暖房設備として小さなストーブが一台あるだけの寒々とした部屋であり、一之は、和倉での厳しい寒さをつらく感じた。

(五) 発症前日、発症当日の一之の状況(甲三、乙四七、証人織田和子)

発症前日の二月一九日は休日であり、一之は午前七時三〇分に起床し、テレビを見たり昼寝をしたりして過ごした。その他には、植木の手入れをした程度で、午後七時三〇分には就寝した。一之は、食事もいい加減にするなど非常に疲れた状態であり、見かねた和子は、もう一日休みをもらうように言ったが、一之は明日は仕事が決まっていると言って聞かなかった。

3  和倉温泉への運行について、証人前原は、同人が運転しているとき、一之が他の車を運転していたかどうかはっきりとした記憶がないと供述していること、右運行のタコグラフのうち、一之の氏名が記載されているのは、前原担当車である三号車のタコグラフ(乙七六の6及び9)のみであり、他には記載されていないことから、真実一之が二号車を運転していたかどうかには疑問の余地がある。

しかし、甲四一における山口金男の供述に加え、二号車を担当していた新田運転手が全区間運転したとは、労使協定に関する覚書(乙四一)からも、運転手間の公平の点からも考え難いことに照らせば、右前原供述及びタコグラフの記載によっても、前記認定を覆すことはできない。

三  一之の健康状況

後記各証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  一之の血圧の推移(甲一五、乙三一、四〇、四三、四五、六二、証人蒲恵蔵)

一之は、昭和五九年ころから血圧が上昇し始め、昭和六一年七月一六日の甲子園診療所における定期健康診断において高血圧症と診断され、昭和六二年九月一〇日から西宮渡辺病院において蒲医師の治療を受けていた。

昭和五一年一二月二〇日以降の一之の血圧の推移は、別表6のとおりである。

2  西宮渡辺病院における治療の経緯(甲一、乙一六、二三、証人織田和子、同蒲恵蔵)

(一) 初診時である昭和六二年九月一〇日、一之は、蒲医師に対し、自覚症状として右足が階段の上り降りの際に引っかかる感じがすることを訴え、それに対し同医師は、頭蓋内、脳疾患を疑ってCT検査、脳波検査、血液検査、血圧測定及び理学的検査を行った。右検査の結果、一之の上肢にホフマン反射、トレムナー反射といった病的亢進が認められ、同人の大脳基底核部分に多発性の梗塞像が発見された。

(二) 蒲医師は、右のような一之の症状に対し、梗塞が長期間にわたって重なってくると、脳血管障害性痴呆等につながるおそれがあると考え、そのような梗塞を予防する意味で、血圧がこれ以上上がらないようにコントロールするとともに、脳の血流を改善するという治療方針を立て、脳血流改善剤及び降圧剤による投薬治療を行った。そして、規則正しく、積極的な生活パターンを維持することが望ましいとの考えから、同医師は、一之に対し、通院治療は続けるにせよ、仕事に復帰するように指導していた。

(三) 一之は、当初は一週間に一回、一、二か月経過したころから概ね二週間に一回程度の割合で通院し、真面目に通院、服薬を行っていた。

3  一之の高血圧の程度(甲一五、二四の2)

(一) WHOの基準に従えば、高血圧とは収縮期血圧が一六〇ミリメートルHg以上で、また拡張期血圧が九五ミリメートルHg以上であると定義され、正常血圧(収縮期血圧一四〇ミリメートルHg以下かつ拡張期血圧九〇ミリメートルHg以下)と右高血圧との間の血圧を境界域高血圧と呼ぶこととしている。

(二) これによると、一之の高血圧は、最も状態の悪かった昭和六一年から昭和六二年ころでも収縮期血圧が一六〇ないし一七〇(ミリメートルHg。以下単位の記載は省略する。)程度であり、それ以外の時期は概ね収縮期血圧が一四〇ないし一五〇、拡張期血圧が九〇ないし一〇〇程度であったから、一之の血圧は、おおむね境界域高血圧であり、収縮期血圧が一六〇を超える時期においても、重度の高血圧であったとまではいえない。

四  本件疾病発症に関する医学的所見等

1  脳出血に至る医学的メカニズム

証拠(甲二五、二六、証人蒲恵蔵、同山口三千夫)によると、次の事実が認められる。

(一) 脳出血は、血管壁の変成、壊死によって、微少な動脈瘤が形成され、血圧の急激な上昇があった時に、それが破裂して起こる。そして、高血圧は、血管壁の壊死、小動脈瘤の形成等、小動脈瘤の破裂のいずれのプロセスにおいても、それを促進する役割を果たす。

(二) 一方、多発性脳梗塞は、一般に生命予後良好と言われており、またアテローム性の動脈硬化(コレステロールが動脈瘤内に沈着するなどして血管内膜の肥厚した状態)が原因となることが多く、脳出血の原因となる血管壊死とは別個の血管の病的変成であり、さらに、梗塞を起こした穿通枝が引き続き出血を起こすという可能性はむしろ例外的であることからして、脳梗塞を起こした穿通枝が脳出血を起こすということは通常ないといえる。

2  寒冷曝露が血圧に及ぼす影響

一般的に、人間が寒冷に曝露された場合、その血管は収縮するため、元来必要な血流を保つために血圧は上昇する(甲二八、証人蒲恵蔵)。

なお、高齢者(甲二八における統計では五〇歳から七二歳の者)については、若年者(同じく二〇歳から三〇歳の者)と比較して、寒冷曝露による血圧上昇が著しいことが認められる(甲二八)。

また、正常血圧者と高血圧者との比較においては、高血圧者の昇圧反応は正常血圧者のそれに比較して大きいとの報告もあるものの(甲三一)、これを否定する報告もあり(甲二八)、正常血圧者と比較して、高血圧者の血圧上昇が著しいと断定することはできない。

3  自動車の運転が血圧に及ぼす影響

(一) 実験結果によると、運転手八名について名神高速道路を運転中の収縮期血圧は、一応平穏無事に走行しているときでも、安静時と比較して平均三五ないし四〇も上昇しており、「並んで走行するトラックと小型車のために追い越しできずいらいらする」という状況では五八、「追越車線に出たとき前方車も前に出た」という状況では四五それぞれ上昇したことが認められた(甲三七)。また、大型送迎バス運転者についての他の実験結果でも、運転時の血圧は休憩中や休日の血圧より高値を示し、また、尿中アドレナリン値のパターンも同じ傾向を示した(甲三〇)。

(二) これらの実験結果から、環境、体質等による個人差こそあれ、自動車の運転作業が血圧を上昇させる要因となることが認められ、他にこれを覆す証拠はない。

(三) また、実験結果より、高血圧者は正常血圧者に比較して、運転による血圧の上昇度が高い(甲二九)。

4  本件疾病についての医学的意見

本件疾病についての医師の医学的意見の概要は、概ね以下のとおりである。

(一) 蒲恵蔵医師(甲一五、二四の1、乙二三、四〇、五四、証人蒲恵蔵)

一之は、初診時の所見、症状から、高血圧症を基礎疾患として多発性脳梗塞の出現をみたものと考えられる。このような場合、脳血管の脆弱化が進んでおり、急激な血圧の上昇があると、高血圧性脳内血腫を起こす危険性が大きいので、日常生活の中で血圧を十分にコントロールしておくことが治療の原則であるところ、一之については、外来への定期的通院、服薬加療により血圧は初診時よりも低下傾向にあった。一之の発症は、寒冷地に向かうなどのストレスの多い乗車勤務を含めた不規則な勤務状況等の過重負荷により、それまでコントロールされていた血圧の急激かつ持続的な上昇が繰り返され、血管壊死や小動脈瘤の形成拡大などによる脆弱性が穿通枝の血管壁で急速に進行し、ついに休日の後の平穏に見える運転業務の際の一過性の血圧上昇を引き金に、脆弱化していた血管が突然破れ、高血圧症脳内血腫を起こしたものと推察される。

(二) 山口三千夫医師(乙一三、六六、七一、証人山口三千夫)

一之については、健康診断の結果等からみて、既に昭和五一年ないし五三年ころから高血圧の傾向があり、特に拡張期血圧に異常値を示していた。昭和六二年九月の受診時には、大脳基底核部や間脳を栄養する動脈系に特別な変化が起こっており、血圧の変動によって、脳内血腫が発生することは十分に考えられた。そして、その後の加療によっても、拡張期血圧は常に九〇以上であり、血圧が十分にコントロールされていたとは言い難い。高血圧は、動脈硬化を促進するので、脳出血ないし脳梗塞がどの時点で発生していても不思議はない。

また、寒冷地での就労が含まれる勤務状況によって、過重負荷がかかり脳出血が発生したと考えるのには無理がある。すなわち、平湯温泉行きは一月末であり、その後の一月二九日と二月一二日の血圧がそれぞれ一六六/九八、一四六/九三であることに照らすと、寒冷地業務の後に激しく血圧が上がったとは言い難い。その後の業務についても、通常の就労と考えられ、身体の特別な変化は報告されていない。脳出血は休日もあった後に、通常どおりの勤務中にしかも突発事故や過重な責任もない時期に発生しており、業務と脳出血との間に相当な因果関係があると考えるのは医学的に困難である。

結局、この発症の主たる原因は、長年の高血圧に対する動脈硬化及び高血圧そのものであり、それらの増悪を来すほどの業務に起因する要因を見いだすことができない。

(三) 足立泰医師(乙一九)

基礎疾患としての高血圧のコントロールは十分ではなかったものと考えられる。既往症として脳梗塞、高血圧症が認められていたところ、バスを運転中異常に血圧が上昇し、脳出血を来したものと考えられ、業務にて今回の発症を誘発したものと考えられる。

5  医学的所見についての検討

(一) まず、本件発症当時、一之の血圧が十分コントロールされていたかどうかという点について、蒲医師と山口三千夫医師及び足立医師とで見解が分かれる。

(1) 蒲医師の見解は、証拠(甲一二、二四の1及び証人蒲)によると次のとおりである。

一般的に言って、血圧が収縮期一五〇/拡張期一〇〇程度であれば、降圧剤を使わないが、若干高めであると判断される場合もある。一之の場合には、脳梗塞という血流障害があり、血圧を下げすぎるのも危険な面があるため、少し高めの一三〇〜一五〇/八〇〜九〇程度でコントロールするのが良いと考えた。実際に一之の血圧のコントロールはうまく行っていた。

血圧の上昇が非常に著明で、たとえば(収縮期血圧が)二〇〇を超えている場合であれば脳出血の可能性を考えるが、本件の一之程度の血圧であれば、脳出血の可能性を疑うことはない。

(2) 一方、山口医師の見解は、証拠(乙六六、証人山口)によると、次のとおりである。

一之の収縮期血圧はある程度下がっており、脳梗塞の防止という点では確かに成功している。しかし拡張期血圧については十分下がっておらず、同人はいつ脳出血を起こしても不思議でない状態にあったといえ、脳内出血を防止するという意味で、一之の血圧は十分にコントロールされていたとはいえない。

(3) 思うに、西宮渡辺病院で治療を受け始めた昭和六二年九月一〇日以降、それまで一六〇前後であった収縮期血圧が一四〇前後に、一〇〇前後であった拡張期血圧が九〇前後に下がっていること、山口医師が問題にする拡張期血圧についても、WHOの基準である九五を超えたのは、治療開始後は一一回中三回のみであり、その他は全てそれを下回っていること、脳梗塞に対して血圧を下げすぎることは、血液の流れをさらに悪くさせるため、新たな梗塞を生じさせる危険をはらんでいること(山口医師もこの点は認めている。)及び一之が渡辺病院で受けた最後の治療であり、平湯行きの後であった二月一二日の血圧は、収縮期一四六/拡張期九三と下がっており、投薬治療による効果が表れていたものと認められることを総合すれば、一之の血圧のコントロールはうまく行っていたという蒲医師の見解はこれを是認できる。また、山口医師は昭和五九年七月九日の一五〇/九五という血圧程度であれば、境界域程度であり、すぐに脳出血の発症が疑われる程の血圧ではないとも証言している。そうであれば、蒲医師のもとで投薬治療を開始した後もほぼそれに近い数値を示している以上、この時点において一之の血圧は、少なくとも日常業務を平穏に遂行できる程度には、コントロールされていたとみるべきである。

なお、脳出血を防止するという意味での血圧のコントロールが不十分であったとの見解を述べる山口医師は、その証言において、脳出血に至るプロセスすなわち血管壊死の形成、小動脈瘤の形成、拡大、破裂という過程において意味があるのは収縮期血圧であることは認めているのではあるが、拡張期血圧が高いということは、動脈硬化があるために、無理に収縮期血圧を上げないと血液が流れにくい状態になっていたことを意味するのであり、このために収縮期血圧がある閾値以上になり脳出血を発症した旨供述する。しかし、蒲医師の、一五〇/一〇〇程度までは治療の対象となる高血圧とは考えていないとの証言に照らせば、一之の拡張期血圧は山口医師が問題にするほどのものではないといえ、この点で同医師の見解は採用できない。

なお、足立医師の見解においては、血圧がコントロールされていないとする根拠が明らかにされていない。

(二) 次に、一之の高血圧の罹患期間について、山口医師は、昭和五一年ころから既に高血圧症の傾向があり、特に拡張期血圧は異常値を示しており、この長期にわたる高血圧が、脳動脈硬化を発症させ、本件の脳出血につながったとの意見を述べている(乙第六六、七一号証、同人証言)。

本件において蒲医師が問題にしているのは、治療を必要とするような高血圧症であり、この点で山口医師の見解と若干食い違う点がある。

確かに、昭和五一年から一之が西宮渡辺病院に通院し始める昭和六二年九月までの拡張期血圧は、WHOの基準を越えるものが多いが、それも境界域高血圧域内(九〇〜九五)のものであった。さらに、本件においてまさに問題となっているのは、高血圧の定義自体の問題ではなく、脳出血につながる可能性のある高血圧がどのようなものかという点である。山口医師は、罹患期間が長いと考え、その間に血管壁の脆弱化が相当程度生じていたことを問題にしているものと思われるが、山口医師も証言するとおり、血管の壊死、脳動脈瘤の形成、破裂という脳出血の発症のプロセスに関係があるのは収縮期血圧であることからすれば、収縮期血圧が高くない本件において、脳出血につながる高血圧が昭和五一年ころから生じていたと認めることはできない。

五  業務起因性の判断基準について

1  被災労働者に対して、労災保険法に基づく労災補償給付が行われるには当該疾病が「業務上」のものであること(労災保険法第一二条の八第二項、労基法七九条)、具体的には労基法施行規則三五条に基づく別表第一の二第九号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」にあたることが要件とされる。

そして、労災保険制度が使用者の過失の有無を問わずに被災者の損失を填補する制度であることに鑑みれば、「業務上」の疾病といえるためには、当該疾病が被災者の従事していた業務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められる必要がある。したがって、被災労働者の疾病が業務上の疾病といえるためには、業務と当該疾病の発症との間に条件関係があることを前提に、労災保険制度の趣旨等に照らして、両者の間にそのような補償を行うことを相当とする関係、いわゆる相当因果関係があることが必要であると解される。

2  そして、右相当因果関係が認められるためには、業務が当該疾病の唯一の条件である必要はないが、当該疾病が業務に内在する危険性の発現と認められる関係にあることが必要であるから、当該業務が被災労働者の基礎疾病等の他の要因と比較して相対的に有力な原因として作用し、その結果当該疾病を発症したことが必要であると解すべきである。これを基礎疾病との関係でいえば、過重な業務の遂行が、右基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させた結果、より重篤な疾病を発症させたと認められる関係が必要である。

3  ところで、今日何らかの基礎疾病を抱えながら業務に従事する者は多いことを考えると、基礎疾病をコントロールしながら日常の業務に従事している者が、通常より過重な業務を行ったために疾病を発症した場合、労災補償制度の保護を受けるに値するものであるから、当該業務の過重性の判断にあたっては、何らの基礎疾病を有しない健常人ではなく、当該労働者が従事していた通常の業務に耐え得る程度の基礎疾病を有する者を基準とすべきである。

4  被告は、業務起因性の判断については、前記の新(ないし旧)認定基準によるべきであると主張する。これらの認定基準は、専門医師で構成された専門家会議によって検討された結果定められたものであり、その内容は尊重されるべきものではあるが、認定基準は、業務上外認定処分を所管する行政庁が、実際に処分を行う下部行政機関に対して運用の基準を示した通達であって、司法上の判断にあたっては、必ずしもこれに拘束されるものではない。とりわけ、発症一週間前以前の業務の評価について、新認定基準は、発症前一週間以内の業務が日常業務を相当程度超える場合に限って、発症前一週間より前の業務を含めて総合的に判断することとしているが、右の点は、医学的根拠に基づくものというよりは、行政通達としての基準の明確化の要請によるところが大きいと考えられることから、発症前一週間以内の業務の軽重にかかわらず、発症前一週間以前の業務についても含めて総合的に判断すべきである。

六  本件における業務起因性について

1  以上のような認定事実を総合して検討すると、一之の本件疾病と業務との関係は、以下のとおりであると推認するのが合理的である。

(一) 一之の基礎疾病である高血圧症は、西宮渡辺病院蒲医師の治療により、完全とはいえないまでも、日常業務に支障が生じない程度にはコントロールされていた。したがって、一之は、右基礎疾病を有していたとはいえ、少なくとも平湯への運行までの時点では、日常の勤務に耐え得る状態であった。

(二) 一月三一日から二月四日までの平湯へのスキーバス運行については、運行計行計画のみをとってみると必ずしも過重な業務とはいえない。

しかし、二月三日に発生したエンジントラブルに伴う厳寒の中の作業は、朝から夕方まで続いており、この作業の中で寒冷に曝露されたことにより、五一歳という高齢である一之の血圧は相当に上昇したものと推認できる。また、宿舎の暖房設備が充分でなく、夜寒くて目を覚ますほどであったということ(証人前原)及び一つの部屋に多人数が宿泊するという環境からしても、一之が充分に疲労を回復できる状態であったとは認め難い。そして、その翌日は疲労の取れない状況下での早朝から夕方にかけての長時間の運行であり、これらの一連の業務は、一之と同様の基礎疾病を有する者にとっては、極めて過重なものであったというべきである。

そして、この平湯における長時間にわたる著しい寒冷曝露により、急激かつ持続的な血圧上昇が繰り返され、血管壁が変成し動脈瘤が形成されるという血管壁の脆弱化が進行し、脳出血発症の危険のある段階にまで至ったと推認できる(甲三四、三五によれば、循環器疾患発症者に見られる過労状態の徴候として、「休息や睡眠を強く要求する」「活動力や気力が明らかに減退している。」ことがあることが認められるが、前記認定のとおり、平湯行き後から一之にこのような状態が表れてきたことも、右認定を基礎づけるものである。)。

一之は、平湯行きの後も連続勤務であり、二月九日まで休日を取ることができず、この間、平湯での疲労を回復できる状況ではなく、かえって疲労を蓄積させたものとみることができる。

(三) 二月一四日から一六日にかけての草津行き及び同一七日から一八日にかけての和倉行きについては、いずれも目的地が寒冷地であり、一之自身供述するように(乙四七)、外気温度と車内温度との差が大きく、チェーンの着脱や車輌の清掃、点検の寒冷曝露が同人の身体に影響を与えたものと認められる。また、この草津行き、和倉行きにおいては一之はリーダー格の運転手であり、しかもスペアー運転手であったことからすると、それに伴う心理的負担も少なからず存したものであったし、しかも、和倉行きについてはそのMM運行の実態は、一層負担の重い変則MM運行であったことをも考慮すると、やはり、一之と同様の基礎疾病を有する者にとっては、過重な業務であったというべきである。

この草津、和倉行きといった寒冷地への泊まり乗務の連続により、平湯での疲労が回復するどころかむしろさらに蓄積していったと認められ、一之の肉体的疲労は相当なものであったと認められる(なお、一之は、一六日の朝、草津の宿泊先の玄関前で、転倒して頭部を強打しているが、発症後の頭部CT撮影の結果、明らかな頭蓋骨損傷や頭部の直接打撲に伴う出血像は認められず〈乙五〉、右の頭部強打が本件発症に影響を及ぼしたと認められる証拠はない。)。

(四) そして、このように疲労の取れない一過性の血圧上昇の生じやすい状況下において、二月二〇日、明石市の配車地に向かう途中の第二神明道路上において、自動車運転による一過性の血圧上昇を生じ、それによりそれまでに形成されていた脳動脈瘤が破裂し、本件疾病を発症した。

2(一)  もっとも、乙四六によると、一之の発症前一か月間の労働時間は合計二五五時間四〇分であり、時間外労働は八三時間となっていることが認められるが、日帰り運行の場合には、途中で乗客が用事を済ませる間の中休時間というものがあり、この間、運転手はとりあえず運転業務からは解放されるから、本件疾病発症以前の一之の勤務は必ずしも長時間労働とまではいえない。

しかしながら、一之の勤務は不規則な勤務であり、一度たまった疲労を回復しにくい業務であること、右にいう中休時間といえども、完全に乗客から解放されるわけではないこと、バス運転業務は前記のとおり、多数の乗客の生命を預かるものであるという点で、その精神的緊張を持続させなければならず、この点による精神的疲労を無視することはできないこと、一之はリーダー格の運転手であることが多く、また、スペアー運転手でもあることからくる心理的負担も大きかったと認められ、十分に休日を取れていないことなどの事情に照らすと、単に労働時間の長短でもって、一之の疲労度について判断することはできない。

(二)  被告は、平湯で寒冷曝露を受けた時点で一之が本件疾病を発症しなかったことをもって、本件疾病と業務の因果関係を否定する一根拠として主張しており、山口医師もこれに沿う内容の供述をする。しかし、被告が主張するように、本件疾病が高血圧症の自然的増悪によるものであり、一之の高血圧症がいつ脳出血を惹起しても不思議でない状態にあったとするならば、この平湯での著しい寒冷曝露によって何故高血圧症を発症しなかったのか、その説明が困難であるともいえる(甲二四の1、証人蒲恵蔵)から、平湯への運行から相当程度時間を経ているからといって、直ちに、業務起因性を否定することはできない。

(三)  被告は、発症前日の二月一九日が休日であり、実際に一之は静養して、充分に休息を取っていることから、その疲労も回復できる状況にあったと主張する。しかし、前記の一之の状態からして、到底疲労を回復した状況とは認められない。また、血管壊死、動脈瘤の形成という過程は、血管の器質的変化といえ、一日静養した程度で回復することはあり得ない(証人山口三千夫)。したがって、前日の休息をもって、一之が危険な状態から脱していたとは認められないから、被告の右主張は失当である。

3  そうすると、一之の本件疾病は、基礎疾病である高血圧症がその一因となっていることが否定できないとしても、むしろ、一之の担当業務が過重な負荷となり、右業務による急激な血圧上昇の反復により、基礎疾病が自然的経過を超えて増悪させて発症を早められ、発症に至ったものというべきである。

したがって、本件疾病発症については、業務が相対的に有力な原因となっているとみられ、一之の業務と本件疾病との間に相当因果関係を認めることができる。

第四  結論

以上によれば、本件において業務起因性を否定した本件処分は違法であり、取消しを免れない。よって、原告の本訴請求には理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官森本翅充 裁判官太田晃詳 裁判官西村康一郎)

別紙別表1〜6〈省略〉

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